おおよその人間は生涯を終えるまでに、何回か”別れの挨拶”や”メッセージ”を聞くことになる。卒業式では学校の先生から、送迎会では転職する同僚から。

回数としては多くはないがほとんどの人間が経験している出来事だ。

そんな中で、私が唯一覚えているのは「死ぬなよ」という言葉である。これは高校生の時、転任する物理学の教師であるN先生が離任式で生徒に残した言葉だ。N先生のスピーチは短かったので子供ながらに「この先生は生徒の早く終われという気持ちをわかっているな」などと思っていた。

N先生は所謂いじられキャラで30代手前ぐらいの男だった。とりたてて授業が面白いわけではなかったが、決して悪い雰囲気を作らない人だった。僕は授業中に絡みがあり、少し仲が良いくらいの間柄だった。僕は数Aで18点を取るくらいに理系科目はからっきしだったのだが、低い点数を取ってN先生を悲しませたくはなかったのでそこそこ勉強した記憶がある(周りがあまり勉強しなかったのかクラスで6位ぐらいになった気がする)。

あれから6年ほどの時がたった今、あのスピーチの意図が少しわかった気がした。その意図とはワンショートメッセージで人に記憶されるということだ。

兎角、人間は忘れっぽい生き物で大体4ツ以上のことを覚えられないし、長ったらしい文章やメッセージを保持することが出来ない。だから大谷翔平は「憧れるのをやめましょう」と短い言葉でチームを鼓舞した。短いが故にメディアのいたるところで擦られまくった。だが効果は抜群だった。

それは「死ぬなよ」も同じだ。たった4文字で、6年たった今でも思い出せる。伝えたいことはシンプルでただ死ぬな、ということだけ。きっと僕を含めてあの場に居た生徒たちはもし死にたくなるほど辛い時が来たとしても頭にはあの4文字が浮かび上がだろう。「頑張れ」でもないし、ましてや「成功しろ」でもない。ただ死ぬなということだけが伝わってくる。

もしかしたらN先生は、同級生や近しい人を若くして亡くしているのかもしれない。だからこその「死ぬなよ」なのかもしれない。今となってはあのスピーチの真意を探り当てることはできない。

死ななければ人生は続いていく。それはあらゆる可能性が閉ざされないということだ。しかし死んでしまったらゼロだ。未来を見ることが出来ないということだ。人間というのは一種のゴーイングコンサーンである。いつかは終わりがくる。しかし終わるからといって今終わって良いというわけではない。N先生はそういったことを伝えたかったのかもしれない。